パソコンの右下に、あの小さなウィンドウが出てくる。
「更新プログラムをインストールする準備ができました」
その下に並ぶ二つのボタン。「今すぐ再起動」と「後で通知」。
私はこの半年、ほぼ毎回「後で通知」を押してきた。
押す理由は、いつも同じ
別に更新が嫌いなわけではない。むしろ大事なものだとは分かっている。
ただ、出てくるタイミングがいつも絶妙に悪い。
- 資料作りが佳境に入っているとき
- ブラウザのタブを30個くらい開いているとき
- ちょうど動画を見始めたところ
- 「あとで読もう」と思っているページが散らばっているとき
そんな瞬間に「再起動が必要です」と言われても、「いや、今じゃない」としか思えない。
そこで反射的にマウスが動き、「後で通知」をクリックする。ほとんど無意識の動作で、右手がもう覚えている。
「後で」は、ちゃんと来る
ところが、「後で通知」の「後で」は、律儀にやってくる。
数時間後か、翌日か。また同じウィンドウが、同じ顔で現れる。
こちらが断るたびに、向こうは穏やかに「また来ますね」と言ってくる。怒るでもなく、急かすでもなく、ただ静かに待っている。
その誠実さが、逆にちょっと申し訳なくなってくる。
半年間で気づいたこと
押し続けて半年。この間に、いくつか気づいたことがある。
1. パソコンは、意外と何事もなく動く
更新を先送りしても、すぐに何か起きるわけではない。普通に仕事もできるし、普通に動画も見られる。だから「まだ大丈夫」が続いてしまう。
2. 先送りの快感は、ほんの一瞬
ボタンを押した瞬間は「よし、回避した」と少しほっとする。でも、その気持ちは長続きしない。画面の隅には、まだ「いつか再起動しないといけない」という宿題が残っている。
3. ほかのことも、似ている
考えてみると、「あとでやる」と決めたものは、更新だけではない。机の引き出しの整理、デスクトップに溜まったファイル、返していないメール。どれも同じ構造で、「今じゃない」を重ねているだけだった。
パソコンの小さな通知が、自分の先送り癖を映す鏡のように見えてきた。
再起動が怖いのは、更新そのものではなかった
よく考えると、私が怖かったのは更新ではない。
怖かったのは、「再起動したあとに、開いていたものが元に戻らなかったらどうしよう」という気持ちのほうだった。
作業中のファイル、開きっぱなしのページ、途中まで書いた文章。それらが全部リセットされるような気がして、再起動のボタンが重く感じていた。
実際には、いまのパソコンは優秀で、たいていのものは保存されている。頭では分かっているのに、気持ちがついてこない。
先送りの正体は、面倒くささより「手放す不安」だったのかもしれない。
それでも、そろそろ
半年も押し続けると、さすがにパソコンにも申し訳ない。
向こうは、私のために新しい機能や修正を、毎回きちんと用意してくれている。それを受け取らずに、ずっと玄関先で待たせているようなものだ。
だから、作業が一区切りしたら、今度こそ「今すぐ再起動」を押してみようと思う。
押す前にやることは、とても簡単だ。
- 開いているファイルを保存する
- 大事なページはブックマークしておく
- 飲み物を用意しておく
これだけで、再起動の数分間は「待たされる時間」から「ちょっとした休憩」に変わる。
おわりに
「更新を後で通知」を半年押し続けた私が言うのも変な話だけれど、先送りは悪いことばかりではないと思っている。そのとき自分に余裕がなかっただけで、ちゃんと向き合える日は、いつか来る。
ただ、その「いつか」を決めるのは、パソコンの通知ではなく自分でありたい。
もし今、あなたの画面の隅にも、あの小さなウィンドウが待っているなら、今日は一区切りついたところで、そっと再起動してみてください。
戻ってきたパソコンは、きっと少し軽くなっています。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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