朝のカフェでふと周りを見渡すと、昔は当たり前のように開かれていたノートパソコンの姿が少なくなった気がする。
その代わりに、みんなの手にはスマートフォン。
かつては「インターネットをする=パソコンを開く」という時代だった。
たとえば、AppleのMacBookを広げる人、Dellのロゴが光るノートを叩く人。
カタカタというキーボードの音が、どこか知的な空気をまとっていた。
でも今はどうだろう。
SNSも動画も買い物も、ほとんどがスマホで完結する。
わざわざ机に向かってパソコンを起動しなくても、親指ひとつで世界に触れられる。
便利になった、という言い方は正しい。
けれど、少しだけ寂しい。
パソコンの前に座る時間は、どこか「構える」時間だった。
画面を開き、椅子に腰を下ろし、両手をキーボードに置く。
それは情報を消費するというより、何かを生み出そうとする姿勢に近かった。
文章を書く。
画像を編集する。
表計算を作る。
スマホでもできるけれど、やはり違う。
画面の広さも、キーボードの感触も、集中の深さも。
もしかしたら、パソコンを使う人が減ったのではなく、
「パソコンを使わなくても生きていける人」が増えただけなのかもしれない。
それでも僕は、夜になるとパソコンを開く。
静かな部屋で、ファンの小さな音を聞きながら、文字を打つ。
効率ではなく、儀式のような時間。
時代の主役が変わっても、
キーボードを叩くこの感覚だけは、まだ手放したくないと思っている。
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